XP祭り 2011に参加して(2)
XP祭りレポート続き。
今回、XP祭りで強く感じたのは、 受け継がれる というキーワード。
XPJUGは、創設こそテクノロジックアートの長瀬さん主導ではじまったけれど、動き出してからは、ずっと、そこのスタッフの想いで繋がれてきた。途中、何度も解散の話はでたけれど、その度に、「続ける」という選択をして続いてきた。XPJUGには、いわゆるプロダクトオーナーはいなかった。長瀬時代も、倉貫時代も、会長は「うん、それでいいんじゃない」という係。スタッフ全員がプロダクトオーナーといってよかったのかもしれない。
そんな中、2009年にスタッフの中で「XPJUGはXP祭りを開催するための団体である」という選択をしてから、正直どうなることか心配だった。しかも自分は、東京を離れるので、実質的に手伝うことができない。しかもイベント開催のためにスタッフを公募する、ときている。スタッフ集まらなかったら、開催できないじゃない(笑) でも去年は祭りが無事に開催されたらしい。らしいというのは、去年は松山にいて、XP祭りに参加できなかった。どんな雰囲気か、tweetをみているだけしかなかった。
そして今年、1年振りに参加してみた。古くからのスタッフ、新しいスタッフが、協力してイベントを作りあげている。新しい試みも、いっぱいしている。ワールドカベや、ワークショップの当日参加サインアップ、などなど。 やってる人が楽しそうだ。参加者も楽しそうだ。大人もいるし、子供もいる。セッションも同時平行開催という、規模の大きいものになっている。回文WSみたいな、わけわからんものもある。Scrumもある、XPもある、すべて手作り。懇親会も大勢が参加したらしい。とても全員とは話せないくらい。
「なんか、いいじゃない。というか、今までで、一番いいじゃない!?」
正直なところ、2009年の段階で、「XPJUGはもう役目を終えた」と感じていた。多くの勉強会コミュニティが立ちあがり、DevLOVEのような統合的なコミュニティもできた。その中で、少なくとも関東圏内においての、XPJUGの意義があるのか、疑問だった。唯一、意義があると感じていたのが「継続してきた歴史と、それゆえに集ってくれる参加者のため」だけだった。もちろん、XPJUGに「創設オーナーの言葉」なんてものはないし、結局そこにあるのは「その時にいるスタッフの想い」だけなのだけど、LTがあるとか、銅鑼を鳴らすとか、本を配るとか、こういった所作自体が、実はXP祭りでやってきたスタイルなんだよね。(今ではポピュラーになってしまってはいるけど) もちろん、こういった所作自体を無理に続ける必要もないし、どんどんアイディアを出して変えていけばいいのですが。
スタッフや参加者の皆へ、
「開催できて、よかったですか?」
「参加して、よかったですか?」
「来年(も|は)スタッフとして開催したいですか?」
「来年も参加したいですか?」
これらの問いに、すべて Yes という回答があるならば、また来年も是非開催してください。
最後に懇親会の二次会で、小井土さんがぽつりと漏らした言葉。
「10年後も、またこうやって呑みたいよね。」
本当にそう思う。その時には、今のスタッフや参加者の誰かの子供が発表者になってたら面白いよね。
常に人の入れ替わりがありながらも、何かを受け継いで、構成員のために、存在しつづける。これがコミュニティという組織なのかな、ということを感じた一日でした。
XP祭り2011に参加して(1)
XP祭り2011に参加しました。
元々、「社長パネル」なるものに呼ばれたので、行ってみたのですが、「松山から来てよかった」と感じた部分が多かったので、その部分を中心に書いてみます。
社長パネルは、「証人喚問」「羞恥プレイ」という形でしたが、質問内容が「XPJUG 10年について」とか「コミュニティについて」のような質問が多いのかと思ったら、思いのほか「社長」についての質問が多かったですね。自分で会社を作ったばかりで、雇う社員もいない会社の代表としては、答えるのが辛い、ピリッとしない内容になってしまったかなw 「社長業」をやってもいないのに、偉そうなことも言えないしねぇ。その点、私以外の方々の話は、経験に基づく非常にためになるものばかりでしたね。
実はXP祭りは、去年は松山にいて参加していなかったので、一年振り(?)なのですが、スタッフとして参加するのを離れた形で参加するのは初めてでした。(そりゃそーだ。設立からずっと裏方やってたから...) XPJUGのスタッフとして、ずっと一緒にやってきた、皆さん以外に、新しい顔(当然、他のコミュニティでは御会いしているのですが)を多くお見掛けして動いているのを見た時に、「自分がスタッフじゃない」というこれまでにない不思議な感覚を抱きました。
そしてセッション、事前に何に参加するかを考えていなく、ふらふら回っていた感想をざっくりと。
アジャイルを科学する
試みは面白いなぁと感じました。シンプルなモデルでどれだけ現実に近づけられのか、という観点で疑問の方もいらっしゃったようですが、この研究を通じて、「イテレーションの幅を決定するのに、どんな要因を考えねばらなないのだろう?」という問いに対しての具体的回答について議論が進めばいいですね。
Agile Buffet
ちらっと眺めたのですが、非常に面白いワークと感じました。教科書的にプラクティスを採用するのではなく、きちんとコンテキストを吟味した上でプラクティスを決定する、という点は、仮想PJを対象にしていながらも、実践的ですね。
実は、今年の4月の AgileJapan2011 愛媛サテライトでやった課題探究WSに似ているとも感じました。「課題探究WS」では「Agile Adoption Patterns」のAgileプラクティスのパターンを用いて、「既存の現場の課題」と、そのコンテキストやフォースを考えながら、解決できる方法を模索し、「深いコンテキストを引出すためのゲーム性」を取り入れたワークでした。手法は違えど、狙いは一緒だと感じました。これは是非、一度東京でやってみてフィードバックを得たいなぁ。
XP入門
当日まで開催することをまったく知らなかったのですが、午後のXP入門で「白本の読書会をやる」と聞いたので、フルで参加しました。
内容は、まず平鍋さんのXP白本に対する思い出、ポイントを聞いた後で、グループ事に書籍(あるいは用意されていたコピー)の指定箇所を読んで、気づいたこと、疑問点について話し合う、というスタイルでした。
平鍋さんの白本に対しての思い出は、それだけで、その場にいてよかった、という気が皆したのではないでしょうか。そして巻末のコメント付きリファレンスの解説については、「俺にもしゃべらせて」と地団駄踏んでました。その中で、平鍋さんが「メタファーは難しい」とおっしゃっていましたが、メタファーについては、 昔のオブラブイベントでワークショップをやっているくらい思い入れがあります。世間的にはユビキタス言語として受け継がれている、と理解されているようですが、実はKentのやりたかったメタファの使い方は、ユビキタス言語だけじゃないということを感じています。どこかでまとめないと。
XP白本は、初版は邦訳、二版は原著(邦訳も買ったけどなくした)を何度も読みかえしているのですが、それでもいろいろ新しい気づきがありました。特に「動的にチーム構成を変えていくんだ」という主張があったのには、新鮮な驚きがありました。また一行目の「XP is about social change」の部分は、皆解釈を悩んでいたし、その事について、グループディスカッションの中で自分の見解を述べたりしました。
「アジャイルからはじめる社会変革」という記事を、「Ultimate Agile Stories -Iteration 1」に寄稿しました。あらためて白本を読むと、私の記事はKentが白本で書いたことを、自分の言葉で、別のきっかけを通じて表現しただけだったのかなぁ、という気になりました。(上記の記事を書いている時には、白本の事は言及したものの、上記のフレーズについては一切考えていなかった) いろいろな想いがあって、自分で考えて書いたけれど、結局はまたKentの手の平の上で踊っていた、ということなのかもしれません。
もういちど、XP 2ndを最初から読み直したいと思うようになりました。そんな気にさせてくれた、XP入門を企画運営してくれたスタッフの皆さんありがとうございました。
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