周防大島への旅 -- 宮本常一を訪ねて

まえがき

夏休みに妻の実家である愛媛県松山市に行った。宮本常一氏の故郷である山口県 周防大島 が松山から フェリーで行けることを知ったため台風が来ているにも関らず、わずかの時間だが渡航することにした。

もう一月近く経ってしまったのだが、旅の間に手記や写真をとっておいたので、思い出として日記に書いておくことにする。手記の内容は誤字脱字以外はそのままの形で掲載することにする。文章が稚拙なのは御勘弁願いたい。

周防大島探検記

2006-08-17

宮本常一氏の故郷である周防大島を訪れて、その足跡を追う。

行きたい場所

  • 白木山
  • 宮本家の墓
  • 周防大島郷土センター

「忘れられた日本人の舞台を歩く」の著者にもあいたい

2006-08-17 08:35

天候があやしい点もあるが無事フェリーに乗って周防大島へと向った。フェリーは思ったより速い。さすが高速をうたうだけのことはある。 海は今は落ち着いているように見える。帰りが若干心配だが、最短コースでも帰れるように、先に行きたい所へ行くことにしよう。

フェリーの船内は、座敷が用意されている。気分が悪くなったら横になれるためだろうか?

本格的な船旅は初めてかもしれない。楽しみ。 [1]

宮本常一に思いを馳せることにしよう。

08:52

フェリーの甲板に出てみた。風が強く顔がゆがみそうだ。写真をとりmixiにupする。瀬戸内海は島が多いので、四方のどこかに島が見える。太平洋とは違うなぁ。

多少揺れてきた。上下のゆれはこれから気持ち悪くなりそうな予感。

無理言って出てきたので、妻や義父に負い目を感じる。自分が精一杯楽しんでくることで、恩返しとしよう。土産は何にしようかな?

09:34

伊保田港に着く。思ったより早い。クマゼミが一斉に鳴いているのが印象的。

すでにレンタカー屋さんが来ていた。柳井の可能性を示したところ、心よく了承していただいた。

時間と台風との勝負だ!

(補足)

島は海岸線沿いの国道以外はほとんど通らなかった。柳井は周防大島を抜けて本州側にある港のこと。フェリーは柳井(山口)-伊保田(周防大島)-三津浜(愛媛)という経路になっている。

13:00

色々なことがあったので、順に書く。

まず最初に周防大島文化交流センターに行く。展示室で宮本の資料に圧倒される。パネルで気になったものは写真を撮る。書籍を購入しようと思ったが重くなると困るので、周防大島昔話のみ買うことにする。

センターを出る所で青年に声をかけられる。青年は筑波大学の鈴木君。自分のことを研究家と間違えたらしい。 [2] ただの旅人だと正体を明かした後、下田八幡 [3] への道を聞く。よくわからないので無理を言って同乗してもらうことにした。

鈴木君は下田八幡の神主に話を聞きたいとのことで同乗してくれたのだが、ついでに近くの宮本の自宅にも案内してもらった。訳あって自宅への訪問は止め、家の前のサツマイモを購入し自宅を後にする。

自宅を後にして、八幡を案内してもらう。うっそうとした山を登ると立派な社が見えた。長州大工のものと思われる見事な彫物があった。

近くの龍神のほこらも見た後八幡を後にする。白木山 [4] に登りたかったが、本日は登山禁止になっているということで、鈴木君と別れて道の駅に向う。 道の駅ではランチが混んでいたので、かんたんな土産とみかんソフトクリームを食べて出ようと思った時、再び鈴木君と出会った。いい店を教えてもらいそこに向うが、残念ながら店が休みなので、通り沿いの「我が島荘」の刺盛定を食す。みかんが落ちてショック!

(補足)

周防大島文化交流センターの展示室には、宮本が中心となって収集した民具、宮本の旅道具一式、と宮本の足跡を記したパネルが一面に飾ってあった。また展示室内で放映しているTV番組の録画では、宮本の肉声も聞くことができた。「忘れられた日本人の舞台を歩く」の作者、周防大島文化交流センターの学芸員であるが、当日は休暇とのことで会うことができなかった。

鈴木君は実家が周防大島で大学で民俗学を専攻しているそうだ。当日は徒歩で近辺を廻っている所をお付き合い頂いた。

白木山は、宮本が子供の頃からよく登っていた山で、瀬戸内海を一望できると著書にも出てくる。当日は台風の影響とかで通行止めになっていた。残念。

宮本常一の墓は結局聞きそびれてしまった。残念。

15:30

またしてもいろいろあった... まず久賀の話。

久賀の手前でいい感じの休けいPを発見。車を止めて、しばし探索にふける。

みかん畑を横目にし、坂をどんどん昇る。勢いよく流れる水の水源を探すために。登れど登れど水源は見えない。みかん畑は何段にもなり道路がどんどん小さく見える。

みかん以外にも、桑、里芋などがちらほら見えてくる。水流は依然として激しく、水源はまだまだ見えない。登っていく中、宮本常一の父である宮本善十郎の十訓の一つ「初めていく土地ではまず一番高い所に登ってみよ」という言葉を思い出す。しばし登ると、小さた溜池を発見した。「もしや」と思ってみたが、どうやら普段はそれほど使われていない池らしい。セメントで固められた中にはわずかの水しかなく、ときおりカエルの飛び込む音がきこえてくるだけだ。

更に(坂を)登ると、ようやくひらけた土地が広がる。墓地も見える。昔の人は先祖が村を見渡せるように高台に墓を作ったのだろう。そこから眺める瀬戸内海はとてもうつくしかった。(ムービーにとった)

みかん畑を降り、車を柳井に向けて走らす。大島大橋前方に見えてきたその時、いいかんじの田んぼが見えた。最後に少しのぞくつもりで車を止め、水路を見ると、おびただしいほどの水草が。よく見ると小魚が大量に泳いでいるではないか。「メダカだ」直感した。すぐ隣にホームセンターがあったので、急いで走り、タモ網とケースを買い、わずかの採集にいそしんだ。

そこには大量のメダカ [5] 、オタマジャクシ、タニシ、ヒラマキマイマイ、水草(水田雑草)が生えている。そのあまりの量に驚く暇もなく、タモ網を入れてはすくい、入れてはすくいをした。

メダカは大量にとれるのだが、水生昆虫は驚くほどいない。わずかにゲンゴロウ [6] がいた位だ。ここまで豊かな生態系の中に水生昆虫がいないのが不思議であった。

水田雑草は念願のオモダカを3株だけ拝借した。これだけあれば十分増えるだろう。メダカ、タニシ、ヒラマキマイマイ、ドジョウ、ヒメガムシなどの生物を採集し、急いで柳井に向った。その時点で14:30。出港まで30分!

柳井までは8km。橋を渡ってもしばらく道を進まねばらなぬことにおどろくが、そのまま車を走らせた。「松山行きフェリー」の看板を見つけたのが14:45。近くのSSでガソリンを入れようと思ったが、(ガソリン口を開くレバーがみつからない、店員がもたつくなどで)なかなかガソリンが入らない。時間がどんどんなくなり14:50になった。

急いでフェリー乗り場に行き切符を買った。車を乗り捨てる旨を売り場の女性に話したが「外の係に(聞いてください)」とのこと。外の係はフェリーに乗る車の誘導で忙しく説明を聞いてくれない。

残り5分。レンタカー屋にTELしたところ、「今柳井にいるのでロックしないで(車を)おいておいていい」との言葉が!これで船に乗れる!しかし既にフェリーは車を載せ、出港態勢に!半ばあきらめてゲートに向うと「許可降りたから、大丈夫!」との言葉が!信じられない!先ほど相手にしてもらえなかった係の人が誘導してくれた。船に乗る前に「(急がなくても)大丈夫だから」の言葉が。ああ、本当にありがとう。おかげ様で僕の初めての周防大島の旅はアクシデントなく終りそうだ。旅は家に着くまでが旅なので安心できないけど...

フェリーにてこれを書いているが、(キャップレス)デシモは細くて(ペンが)手が疲れてしまう。やはり太軸で、太いペン先で、ゆったりと書くのがいいなと実感した。さすがにここまで連続して手書きをすることなどあまりないからかな...

字が汚ない&誤字ばかりというのは、まだまだ修行が足りない証拠。がんばろう!

[1]: フェリーは本格的な船旅ではない!(笑)
[2]: 展示パネルの写真を撮りまくってたら研究者と思われても仕方ないかも...
[3]: 宮本の家の裏にある神社
[4]: 宮本がよく登り風景を見たという山。瀬戸内海、太平洋を一望できる
[5]: 当然クロメダカだ
[6]: 実際はヒメガムシだった

(補足)

久賀は周防大島の中でも昔から、腕のよい石工が多かった土地。みかん畑の段々畑もこれら石工の手によるものなのだろうか。周防大島は傾斜地が多く、以前から水稲にはあまり向かない土地だったようだ。宮本の父の代から養蚕が盛んになったが、その後廃れて現在のみかん栽培が中心になったと聞く。

野生のメダカを意識して見たのは初めてだったのでちょっと興奮してしまった。あれだけの生態系の中に水生昆虫がほとんどいなかったのは、今考えても非常に不思議だ。機会があればまた訪れたいと思う。

当日は台風の影響でフェリーが欠航になるリスクを回避するために、15:00柳井発のフェリーで帰ることにした。愛媛側の三津浜港までは約2時間30分。フェリー船内は思ったより豪華で驚いた。

エピローグ

結局、採集したメダカ、ドジョウは妻の実家に置いておくことにした。義父が飼っている金魚を入れている瓶の横にメダカ用の瓶を置き、そこにオモダカとメダカ数匹を放しておいた。来年になったらどれだけ増えているか楽しみだ。