生物と無生物の間 - 動的平衡
ボストンにいってきた話がまだ書けていないのだが、その前に書かずにいられなくなったので書く。
最近、 生物と無生物の間を読んだ。生物と無生物との境界は?という問題提起からはじまり、ウィルス、DNAを取り巻く研究者の姿が描かれていて、読み物としても面白い。また、先日ボストンにいってきたばかりなので、研究の現場として何度も登場したハーバード大学はちょうどボストンにあり、知った地名が何度もでてきて懐しかった。(といっても地図で見ただけの地名ばかりだけれども)ボストンの青く澄み渡った空と、町並みが思い起こされた。 そんな楽しみ方をしていた本書だが、後半から 動的平衡 というキーワードが、自分に稲妻のような衝撃を与えた。
構造という静的な表現に、時間という不可逆の動的要素が加わる。すると秩序を保つために、構造自身が絶えまなく 秩序を破壊し続ける。エントロピーの増大に抗うために、システムの耐久性と構造を強化するのではなく、その仕組みを流れの中に置き、時間とともに変り続けることで、動的平衡状態を造りだし、次の動的平衡へのステップとなる。この点が生物と機械との最大の相違点だと筆者は言う。
そしてその動的平衡系である人間が構成するチーム、組織についても、実は静的平衡ではなく、動的平衡を前提に考えなくてはならないのではなかろうか? つまり、静的な構造(ロール、スキル、人数)としてだけ捉えるのではなく、「ときの流れ」の中で、動的平衡を継続的に維持していくようにしなければならないのではなかろうか。チームは、リソースの集まりとしての単なる静的構造ではなく、そこに参加する人と人とが織り成し、不可逆な時間のフローの中で生まれる動的平衡からなるシステムとして捉えるべきではないのだろうか。そして、動的平衡をもたらす行為が、継続的な改善であり、自律的な協調作業であり、ペアプロであるのではないだろうか。これらの行為は、常に時間の経過による向上、効果、つまり動的な側面を前提としているのではないか。そして、顧客と開発という関係の中で、顧客の動的平衡を維持するために、継続的にソフトウェアという価値を提供することが、つまりアジャイルであると言えるのかもしれない。
そして最後に、自分は本書のエピローグに深く頷かずにはいられない。自然という動的平衡を破壊してはならないのだよ。
あともうひとつ、生物学におけるエントロピーの増大というキーワードでも気づきがあったが、言語化するにはまだ時間がかかりそうなので、寝かしておく。
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